【ブログ】 おむつ しない、っていうけれど

しばし、なにも書かずにいました。
というより、パソコンの前に座ると、どうもべつのことをしてしまう、年末のぼく。

以下、例のごとく、個人を特定できないように、改変してあります。
で、

認知症の本人が母親。
受診に連れてきたのが、長男。

長男が言う。
「母親がですね、」

ぼく:「ほうほう」

長男:「 おむつ しないんです」

ぼく:「ほうほう」

長男:「それどころか、汚れたパンツ、隠すんです」

ぼく:「ほうほう」

長男:「何度言っても、おむつ、はかないんです。」

ぼく:「ほうほう」

長男:「先週なんか、10枚、パンツ、捨てたんです」

ぼく:「おー」

長男:「どーしたら、いいんですか?」

ぼく:「んー」

長男:「薬とかあるんですか?」

ぼく:「ん?」

ぼく、固まる。

しょっちゅう固まる、ぼく。

セメダイン、か!

で、母親。
健康状態は、筋力低下はあるものの、その他とくになし。
血圧も血糖も尿酸値も肝機能も腎機能も心機能も電解質も血算も
ぼくよりいい。
精神的にも、安定していて、機嫌よい。
にこやか。
からだは、まっ、元気。
脳のMRIは、海馬やその周辺は痩せているけど、あとはきれい。
ただし長谷川式は7点。
それでも注意は結構保たれている。
なもので、母親との話は、丁々発止、的にはずむ。
たぶん、そういう姿、他の人が見たら、認知症とはわからない。

でね、診察。
今日は来ていない。
息子さんだけが来院。
おむつ問題。
息子さん、結構思い悩んでいたんだろう。

恥の文化。日本。
読んでいる人にとっては、
上の話、母親にとっては「あたりまえの行為」。
あたりまえの行為をする、のは、異常か正常と問われれば、
まさに、この部分は、正常な部分だね。
隠した後の処理がうまくできないのは、一部の認知機能の低下のせい。
医学は雑に、実行機能障害、とか丸めて言ってしまうかもしれない。
で、そこはしょうがない。
ぼくも、繊細な言葉にする気力と知力がないので、ここは追求しない。

でも、この息子さんのごとく、目の前の現象に困り果て、悩み始めると、バランスを失う。
息子さんの気持ちは、イライラしてる。
それも、あたりまえだね。
こっちも、正常。

認知症医療、正常vs正常を突きつけられて、
しばし、固まるぼく。

ところで、この息子さんのように
解けない「短期問題解決」を医療にのぞむのは、しょうがない側面もある。

医療には、一部のすごみはたしかにある。
一方、そのせいで、なんでもかんでも「短期問題解決」できるかのような錯覚を生んでいる部分もある。

なんのこっちゃ。

痛みがあれば、薬飲めば治る、とか、
手術すれば、治る、とか。

まあ、劇的にきくこともあるね。

白内障。
でも、手術したら、すっきりくっきり。

風邪なんか、治せない。
でも、たとえば、熱とか、のどの痛み、とかは薬で散らせる。
すると、風邪を治したかのような錯覚がある。

ある種のがんなら、飲み薬で、なおっちゃうことがある。
びっくりする。

血圧を下げることができるから、結構長生きできるようになった。

痛い、だるい、なんか変、そんなことをことごとく解決してくれるのではないか。

そういう期待を医療は生み出す。

でも、しばしばある「お風呂入らないんです」とか「おもつしないんです」とか
はそうはいかない。
でも、
そういった類の話であっても、
こんな薬でよくなった。
とか、
治せる、とか、あやしい医学本は多い。
なものだから、短期的な問題解決できる、っていう錯覚は、医療の側にもある。

医療って、予防、維持、治す、以外にないのか。

ふと、ですね、介護保険でも、医療が組み込まれていますね。
あるいは、がんでも、慢性期のがん。
そのときには、がんとどうつきあうか、といった問題を、
本人とともに、がんばって、その人の人生の終わりまで伴走してくれる心ある医師がいる。

がんでなくても、衰弱し、家から出られなくなった人々を訪問する医師も最近では増えてきている。
治すことが目的ではない。
人生の伴走者の一人としての医療がある。
なかなか役に立つ、って感触がある。

認知症もある意味では、不治の病。
でも、認知症とともよりよく生きる人々の姿が、
最近ではメディアでも取り上げられつつある。
そういう文脈での、予防、維持、治す、以外の医療の役割だってあるように思う。
医師も、そういう文脈の医療の手ごたえを、言葉にして伝えていく必要がある。

んーー、年末なので、たくさん、書いてます。
で、もとい。
でね、この話、続いている。

ぼく:「難しいね。」

長男:「薬ですか?」

ぼく:「薬使うと、少し、減るかもね。」

長男:「ふーん」

ぼく:「あっ、おもつすることだけをさせる薬は、当然のことながら、ない。」

長男:「ふーん」

ぼく:「ただ、おとなしくなるだけ。おむつすることに抵抗がなくなるだけ。」

長男:「ふーん」

ぼく:「あっ、おかーさん、イライラしている?」

長男:「いや、そんなことはないです。」

ぼく:「そっかー」

ぼく:「おむつできるようになってから薬切っても、もとに戻らないかもよ。ぼくの経験から。」

長男:「どいうこと?」

ぼく:「ぶっちゃけ、パンツ隠す意欲をなくせば、パンツは隠さなくなる。」

ぼく:「そういうことは薬でできる。でも薬の作用なのか副作用なのか、落ちた意欲は、薬を切れば、すっかりと戻る気がしない。また、体をスムーズに動かしにくくなる副作用だってあるしね。」

長男:「なるほどぉ」

ぼく:「でも、さあ」

長男:「ん?」

ぼく:「今の状態、大変だろうけど、たぶんさあ、薬を使わなくても、半年とか1年も、おもつ、はいてくれない、って同じことをしていると思えないんだよね。経験的に。」

長男:「ん?」

ぼく:「おかあさん、たぶん、いま、ぎりぎりで、パンツ隠してる感じがする。」

長男:「ん?」

ぼく:「人間の老化もそうだけれど、人間ってさあ、ゆっくりとできていたことができなくなる。」

ぼく:「大変なのはわかるけど、そういう母親と付き合う、っていうのも、あり、かもよ。」

ぼく:「しかも、そんな長い時間ではない。」

ぼく:「どーする?」

長男:沈黙。

ぼく、また固まる。

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