よく「これってさあ、認知症に効くんだよ」って言われる。
まあ、ぼくも空気を読むから、「へー、そーなんだあ」と感心する。でも、「何に効くんだ?」そう、思わない?「効く」って日常語でもあるし、なんだかお互い分かったかのように会話は進むけどさ。
たとえば、痛み止め。「これってさあ、効くんだよ」っていうことは、痛いところが痛くなくなったんだね。だったら正確には、「これってさあ、痛みに効くんだよ」という意味だね。あっ、そーか。「これってさあ、〇〇に効くんだよ」って話し合えば、いいんだね。〇〇が「認知症」になったら?「これってさあ、認知症に効くんだよ」って感じ。「へー、認知症に効くんだね」と思わず答えてしまう。でもやっぱ、「えっ、認知症の何に効くんだろうか」って思ってしまう。よくわからない。
それじゃ、〇〇を「がん」にしてみよう。「これってさあ、がんに効くんだよ」。きっとがんが小さくなったり、消えたんだろうね。それじゃあ、同じように「これってさあ、認知症に効くんだよ」って。認知症が減ったり、消えたのかなあ?そもそも認知症って消えるものなの?認知症でなくなる イコール 認知症が治る?「認知症を治す」とか「認知症が治る」とかいろいろな書籍のタイトルに踊っているけど、それってホント?んー、なかなかの深みにはまってきたね。認知症を治せるんだったら、逆に「治る認知症」ってあるはずだ。でもね、よくテレビなんかでも「治る認知症」って、正常圧水頭症ですね、って専門家は答えている。そのうちに、治らない正常圧水頭症というのもあってね、とかもいったりしてる。わけわかんない。だいたいさあ、「認知症が治る、っていうことはない」と大勢の偉い先生から僕は教わり、そう人々に伝えている。偉い先生がみな間違っているというのなら話は別だけど。ぼくの経験も偉い先生の言うことと一致している。逆に治ってしまうとそれって、認知症ではない。誤診ということに定義上なってしまうんです。これを証明したい。定義を全部かくのは面倒なので短くしたい。難しく言えば認知症であるための必要条件なんだけれど、「認知機能低下が持続的で進行性」が認知症であるための前提。ということは、「これってさあ、認知症に効くんだよ」というのは、少なくとも「認知症を治す」ということではない。痛み止めの例に倣(なら)って、「認知症の〇〇に効く」ぐらいにしないといけなさそうだね。
なぜ、痛み止めは、「これってさあ、効くんだよ」で話、通じたのか。それは明らか。痛みがとれるはず、というのが、話している双方が同じ風に思ってたから。でも、認知症になった途端、「これってさあ、認知症に効くんだよ」と詳しく説明しても、話している双方が「何に」に対して同じ風に思っていることが決まっていない。だからある人は、「これってさあ、認知症に効くんだよ」って主張して、もう一人が「そんなことはない」といって喧嘩になっても、埒(らち)あかない。単なる消耗戦。実りはない。でさあ、この「何に」って認知症医療の根幹をなす部分。でもさらに長くなるので、今度。
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